2015/04/01

燃える月の半分。〜肝炎編〜

本当のことを言うと、AなのかBなのかCなのか、未だに不明。
ただ感染経路や症状から考えて、きっとA型ね!と落ち着いている、すっかり元気になった今日この頃。心からこんなに笑っている自分を見るのは、数年ぶり。


まだ走るのは少し、怖い。階段はゆっくり、丁寧に。
もうそれくらい。ご飯はもりもり、食べています。
徐々にすでに、ぽっちゃり気味。神様、複雑な気持ちをどうもありがとう。

本当に元気になりました。
日本から遠くいろんな国から、こんな私に嬉しい連絡をくれたみんな。
言葉はなくても想ってくれたみんな、ほんとにありがとう。

初めての体験だったけど、ちっとも心細くなんかなかった。
実際にそうしなかったとしても、頼れる人が近くにいること、甘えを赦してくれる人が近くにいること、こんなに感じたのは初めて。もう何年もこの厳しいヴァラナシでの生活を繰り返しているけど、新しい自分を見つめているところ。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
結局どこから感染したかなぁと考え、やっぱりグジャラート行きの電車で食べたチャナじゃない?!という結論、勝手に。あれうんまいけどほんとに、気をつけて…。楽しすぎて浮かれすぎていたからだわ。

これからまだインドと長い付き合いのある方のために、肝炎について。

✴︎✴︎症状はまず発熱から始まります。特に夜中の上がりっぷりはちょっと笑えます。
私の場合、愛おしいウダイさんの歌のせいで熱出たと勘違いしました、はい。
意外にも高熱じゃないものでスルーしがち。たぶん38.5度くらい。
これが3,4日続きます。

かと思ったら急に強烈な吐き気に襲われます。もうここで書くには申し訳ないくらいの痛い感じです。私の場合、ぐみちゃん企画のNamaste Mela! 出演の朝に始まったのできっと一生忘れない笑。いつもなら5分で着く距離を、軽く3倍ほどかけてゆっくり。
吐き気と同時に、人生で味わったことのないような倦怠感に襲われた為…。

タンプーラが重くて重くて、少し腕を上げたりベッドの上で膝を立てたりするのも辛い。全身がベッドに埋まって地面にどんどん沈んでいくような、地球の中に入ってくみたいな真っ暗な重さ。人によるけど、この倦怠感が完全になくなるには1ヶ月ほどは時間がかかりそう。

そいで、変な色の便が…、出てきて…。
私の場合、まあその、真っ白い感じで。ここくらいから本気で焦り始めます。
小さい方なんかもう血が混じってるんですかというくらいの色になってきます。
ん?何?これ何?あかんやつ?なおーーー!

と思い始めた暗闇のホーリー明け、ちこさん登場。
また書きますけど笑、「なおちゃん、目黄色!!」となって即病院へ。

血液検査後のヒゲ面先生はあっさり、「ウィルス性の肝炎ですねー、ゆっくりするしかないですねー。あれもこれもそれも、2週間は食べてはいけませーん。キチュリーキチュリー!薬ー!」と言いました。そんなにあっさり言うならあんな量の血抜かなくてもいいじゃないか!と、ほんの少しイラッとしました。

だめなものは例えば発酵食品、ヨーグルト、牛乳、チャイ、一切の油。りんごとパパイヤ以外の果物、マサラ、刺激物。。。

体のことにおいて信頼している友人の勧めもあり、変な薬を5日ほどは久々にちゃんと飲みました。なんでもバランス。ある一方だけを拒み続けるのは非常に危険です。
その後はアーユルヴェーダのカンゾーさんのためのお薬に切り替え一安心。


それからも1週間くらい、肝臓の腫れがおさまらず消化不良、肝臓周りの痛みなどは続きます。ここから辛いのはとにかく夜眠れないこと。気づいたら5時とかなっていて、私の大事な朝の行はさようなら。最近になってやっと、眠れるようになりました。

今日は症状が出始めてからちょうど1ヶ月。
黄疸も数日前からすっかりなくなりました。

肝炎は食事で治すとも言うくらい、とにかくカンゾーさんに負担にならない優しいものばかりを食べて過ごしました。消化には相当の時間がかかるのですけど、それが過ぎると食欲だけはしっかりあるのが肝炎。不思議。
1日1食とはいえ、すごい量を食べていたことが発覚。


優しいもの、美味しい美味しいと思いながら幸せに食べました。
こゆものも買いました。すぐご褒美とか言ってやっちゃうけど、今日も明日も大活躍。
私のヴァラナシライフ、どんどんラグジュアリー。


私の症状はかなり軽かったように思います。
体重が10キロも減ったとか、3ヶ月はずっと体が重かったとか、周りには肝炎経験者がモリモリいるこのヴァラナシ。みんないろーんなことを知っていて、心強かった…。

ずいぶん前から顔は知っているけど、どこの国かも何をしているかも知らなかった怪しいヴァラナシ住人たちが、薬を持ってきてくれたり声をかけてくれたりなんかして、私この出来事にどうやって感謝していいやら。もう心にロックがかからず開きっぱなし。

それからA型は一度感染して治ると、非常に強い免疫を持つのでほぼ2度とかからないと言われているのですよー。私10年かけてやっと、獲得しつつあります。
もしも、あれこれ、もしかしてと思ったら。いつでも聞いてね。

3月はもういろんなことが起こりすぎて、いつ何が起こったか、日にちまで全部言えてしまう。濃厚で貴重な、ほんとに愛おしい時間。

そんな3月私の周りはもう春だらけ。美しい女子たちは恋や草木の色を楽しんで、まるで薔薇の花びらに囲まれるみたいに、それぞれの時間を大切に過ごしていました。これが何より、私の励みとなり力になりました。


みんな、ありがとう。

新しいラーガ、始まりました。
大人の女性のような、成熟した音だよと、ロマンチストグルジーに教わりました。
ふわって涙が出てしまって、グルジーとグルマーは全部わかってるみたいに、そっとハグしてくれました。そういえば、ドゥルパドを始めて悩んだり心細い思いをしたりしてた頃、このスケールのただの音階練習でレッスン中にいっぱい泣いたことを思い出しました。その日もグルジーとグルマーがハグしてくれたんだった…。初めてラーガって何なのか体感した、強烈な時間でした。


おわり。